上古よりのパワースポット 出灰渓谷
出灰(いずりは)は、摂津・山城・丹波の三国境界の起点にあたります。
我が国では、神代の頃から、三国境界点は方位の影響を受けない強運の聖地として信仰されてきました。
出灰も上古よりの「パワースポット」で、朝廷に献上した良質な石灰を産出したことから「いずりは」と呼ばれるようになったと伝わっています。今でもこの渓谷は、京都府と大阪府の府界で、本堂は大阪府高槻市出灰小字東羅に位置します。
八つの滝を擁する出灰不動谷は、役小角(えんのおづぬ)役行者(えんのぎょうじゃ 634伝~706伝)が、日本で初めてとなる毘沙門天を安置したという加茂背山(ポンポン山)の北斜面に位置し、古来、山岳信仰の行場として不動明王がお祀りされてきました。
京に都が遷った後も江戸期に至るまで、この一帯は都の西方を護る西山最深部として信仰を集めた土地でした。とんち話で有名な一休宗純(いっきゅうそうじゅん)<1394~1481年>が、戦乱の喧騒に明け暮れる都への厭世観から、尸陀林(しだりん-釈尊在世時のインド中部にあった聖地)に重ね合わせて移り住んだ土地としても知られていますが、当時は現在より遥かに過酷で厳しい山中であったといえます。過酷さゆえ、前世紀には不動之滝への道も閉ざされてしまいましたが、平成元年、この道を再び切り拓き、真言宗の修行場として再興したのが現在の出灰不動尊です。
分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月をこそ見れ
柿崎家本「一休骸骨」より
出灰不動尊 本堂(阿字観堂)
<先祖供養>毎月28日11時より 出灰不動尊本堂(阿字観堂)にて
出灰不動尊 本堂(阿字観堂)は出灰バス停からの距離が400mになり、徒歩でのアクセスが、かなり容易になりました。バス停から1km以上だった奥之院滝場も、阿字観堂から700mになり、歩きやすくなったとの感想をいただいております。
これまで車で通り過ぎていただけの方々にも、不動尊の里山の道を歩いていただくことで四季の草木や小鳥のさえずり、清流や風などの自然を感じていただけるようになりました。
火伏不動 出灰不動尊 (ひぶせふどう いずりはふどうそん)
出灰渓谷は、摂津・山城・丹波の三国の境界にあたる磁場の強い“ゼロ地点”で、八つの滝を擁する出灰不動谷は役小角(役行者634伝~706伝)ゆかりの聖山・加茂背山(ポンポン山)北斜面に位置する古来からの山岳信仰の行場で、不動明王がお祀りされてきました。現在でもこの場所は京都府と大阪府の府界で、奥之院の入口は高槻市出灰小字二ノ瀬(大阪府)に位置しますが、行場・滝がある場所は正確には京都市西京区大原野出灰という住所になります。
古くは「いずりは」「ゆずりは」と呼ばれていましたが、朝廷に献上した上質の石灰を産出した場所であるため、いつしか「出灰」と表記されるようになったと伝わっています。トンチ話で有名な一休宗純(1394~1481)が尸陀林(しだりん-釈尊在世時のインド中部にあった聖地)に重ね合わせて移り住んだ土地としても知られていますが、当時は現在の想像をはるかに超える過酷で厳しい山中でした。
その過酷さゆえ、前世紀には石の不動尊を祀った不動之滝への道も閉ざされてしまいましたが、平成元年、この道を再び切り拓き真言宗の寺院として再興したのが、現在の出灰不動尊です。
この厳粛な聖地から、お不動様は悠久の時空を超え、開運厄除、交通安全・火伏(いじめ・職場和合)に大きな御利益をもたらしてくださっております。
阿字観本堂や奥之院、行場・滝やいずりは瞑想道場も整備を進め、より多くの皆様に、この聖地で密教の修法とその功力を体感していただいております。